欧州脱出の記録2日目(フランクフルト→ウィーン)
8時に目が覚めPCで情報集めを行う。先行脱出した4名のドクターはすでにギリシャのアテネに到着していた。我々の脱出方法は3つのルートがあった。フランクフルトに後続組が到着するのを待ち合流して待機するか、イタリアのローマまで鉄道で進んでそこから飛行機でアジア方面へ逃げるか、ギリシャのアテネまで鉄道で進んでアジア方面へ逃げるかであった。いろいろな情報を総合するとフランクフルトにいつまで滞在すればいいのか見当もつかない状況で他の2名のドクターは個人開業医であり彼らがいないといつまでたっても病院が閉鎖で経営難に陥るということもあり1日でも早く帰国する方法を選択することとなった。ホテルを後にするまではローマに向けて進むことを決めていた。しかし、鉄道の駅でローマまで乗り継ぎ5回10時間かかるということだった。もし、ローマ行きを選択していればこれから先これほど苦労をしなくてもよかったと今になれば振り返ることが出来た。先行4人組からアテネの情報が入り早くこちらに来た方がいいという魔のささやきからギリシャのアテネを目指すことを決意してしまった。鉄道の乗換は5回で日曜日の朝に出ても2日後の朝にしかつかないとてつもない距離にして1800キロを縦断することになった。18日(現地日曜日)12:17発ICE27号オーストリアのウィーンまでが最初の電車であった。到着は19:22である。自由席のために空いた席に滑り込めた区間もあれば途中で指定の乗客が乗り込んできて地べたに座りながらの乗車率130%ぐらいの状況が5時間ほど続きウィーンになんとか到着した。列車が遅れた影響で間髪いれずに走って乗り換えをする。
治療方針
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症例
マウスピース矯正
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