3番目の区間は最もひどい体験をした忘れることのできない区間となった。乗換の時間はわずかに10分間。18日オーストリアのブタペスト23:00発 寝台列車 ベオグラード着 翌朝19日6:29 予定である。乗った瞬間から押しくら饅頭の状態で列車は発車した。指定の席に座ろうとしてもすでに乗客がなぜだが6名座っている。信じられない。朝日先生が抗議したがだんまりである。本当にどうかしている。全く動こうとはしない。本当にひどい。しかも疲れ切った状態で深夜を明かすことはまずもって無理である。仕方なしにとなりの客室に向かい開いている席に座って周りの乗客に状況を片言英語で話す。するとすぐに通じたのかいっしょに座らせてくれた。ひどい人間もいればとてもやさしい人間もいる。海外では多くの人間は国境とは関係なく親切であるが一部にどうしようもないやつがいる。寝台列車といっても戦時中の疎開列車と同じである。明かりも暗く便所は線路に筒抜けでお尻が風で冷たい。水は出るが足でペダルを踏まないとでてこない。あの客室に異国人と6名で一晩を明かすなら便所の方がましかもしれないと思ったほどだ。リクライニングなど当然ないし3人ずつが向かい合って座っている。しかも皆、どこの国の言葉だがわからない言葉でうす暗い中で話し合っている。それでも疲れ果てて寝てしまう。ベオグラードとはセルビア共和国の首都である。この途中、例のイラク人とフィリピン人が雨の中駅の国境検問に引っかかり列車から降ろされた光景を見て戦時中の検問でひっかかり捕まる映画のシーンが頭の中をよぎり自分も降ろされたら2度と日本に帰れないという恐怖を味わった。何度も目が覚めながらなんとか首都のベオグラードについたのは朝の7時であった。
治療方針
簡易サイト
症例
マウスピース矯正
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