欧州脱出の記録3日目
4番目の列車は19日7:50セルビア共和国ベオグラード発 19日22:37着ギリシャのテッサロニキ予定である。これもまた正直きつかった。15時間同じ列車に乗り込んでいないといけない状況であった。それと食料と水なかった。ベオグラードの駅では何も売っていない。3両編成の前の列車とさほど変わらない戦時中の列車である。とにかく暇だ。景色はひたすら雨の降る湿地帯の中をゆっくりと通過していく。幸いにも今回は朝日先生と伊藤先生と3人だけの個室寝台に乗ることが出来たことだった。しかし我々が持っているのはかばんの中に残された御煎餅とホテルのベッドに置いてあったチョコ数切れ、朝日先生の持っていた麻布の高級かりんとう2袋だけ。朝日先生が前の車両で何とか水とジュースを手に入れてきてくれた。丸一日をこれですごさなければいけない。食欲も減退し何が起こるかわからないので自分は御煎餅の袋を大事にかばんにしまった。携帯で情報は入るもののやはり周囲の空港は閉鎖していた。次第に3人の形態のバッテリーも消耗し底をつきそうになってきた。電池も節約しないといけない。またまた検問である。大体検問=国境ということはだんだんとわかってきた。さて今度はどこの国なのだろうか?地図も手元にないのでどこにいるのか見当もつかない。検問の駅には大抵国旗が掲げてあるのでそれからどこの国かがわかる。それも電子辞書で調べて初めてわかった。今度は旧ユーゴスラビアのマケドニアという国らしい。列車にターミネーター3の敵役の無愛想な警官が乗り込んできてパスポートを取られる。そして駅に降ろされてしばらく検印とパスポートの身分確認をする。この間がいつも怖い。パスポートを持って行ってしまうからだ。命より大事なのはパスポートを取られ不安で仕方がない。パスポートが手元に戻ったときは日本人に生まれてよかったと思う瞬間である。前のイラク人やフィリピン人のように降ろされたらもう生きては帰れない。
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マウスピース矯正
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